神のことに対する、私たちの理解力

2016年2月21日

神のことに対する、私たちの理解力。(週報・4面より)

「それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。」

ヨハネ第一の手紙 5:20b

「御子を信じる者はひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つ」という聖句をそのまま受け入れ、私の場合38年が経ちました。長い年月、福音を受けた私たちは、どのように生きてきたでしょうか。新天新地があると聖書は語るので、この地上が永遠に続くと思う人は少ないでしょう。どのように地上のいのちを用いたらよいでしょうか?

私は「永遠のいのち」について、普通の意味での死の後に、最後の審判で無罪とされ、そのまま天国に入れていただき、そこから永遠のいのちが始まるのではないか、そんな感じ方をしていました。ちょうど、何十年あとで満期になる生命保険に入ったのと同じで、安心はしたもののずいぶん先のことだと思っていたのです。

ところが、今回、ヨハネの手紙第一を学んで、今すでに永遠のいのちを持っていると強く確信するようになりました。様々な機会に、多くのメッセンジャーが、「生きている今、永遠のいのちを持っている」というお話をされ、半ばはそうかと思いつつ、信じた当初の感じ方にもいくらか未練を残して、そこを曖昧に生きてきてしまいました。

それは大きな損失であったのかもしれません。上記の聖句によると、私たちはクリスチャンになった時点でイエス・キリストのうちにいると書かれています。「永遠のいのちを持つもの」と自覚して生きることを、私たちに促していると思えます。この地上のいのちのことだけを考えるなら、健康に気を配り、少しでも家族や教会の役に立つようにしたいとか、体が不自由になって回りの人に迷惑をかけたくない、そんなことを大切にすれば十分です。しかし今、永遠のいのちの中にすでに生きているなら、神さまのお心、神さまが今、私に命じておられることをもっと知る努力をすべきでしょう。永遠のいのちは漠然としたものではなく、地上にいる今、それを最大限活用すべきです。いつも、具体的に理解している必要があったし、これからもあるに違いありません。