カテゴリー別アーカイブ: 礼拝説教

み使いの歌  第4アドヴェント

礼拝説教・要約 ◇ アドヴェント4 ◇ ルカ福音書2:12~15           12月18日(日)

☆.  み使いの歌

『いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。』ルカ福音書2:14

イエスさまの時代にみ使いがしばしば、人の前に現れました。イエスさまのお誕生の時には天の軍勢が野宿の羊飼いの前で、讃美を歌いました。たった3,4人の野宿の羊飼いに、なぜ何万の天の軍勢が訪れたのでしょう。

Ⅰ. み使いの数と、役割

み使いは、神さまの被造物です。神さまに仕え、救われる人のためにも仕えます。生き物よりすぐれた能力をたくさん持っています。いつまでも生きています。結婚はしません。教会にもみ使いがいると言われています。

ヨハネ黙示録の中では、み使いの数は万の幾万倍、千の幾千倍(5章12節)と書かれています。ただし、羊飼いの前に現れた「天の軍勢」は誰も数えたわけではないので、数はわかりません。

Ⅱ. 新旧約聖書には天使が現われます。今、私たちはなぜ、天使と出会わないのでしょう。

旧約聖書ではみ使いは、いろいろな姿で人の前に現れました。

  • 創世記18:1,2 99歳のアブラハムの前に3人の旅人がやって来ました。アブラハムは彼らをもてなしました。3人は神の使いであり、サラが来年男の子を産むこと、また、ソドムとゴモラを滅ぼしに遣わされてきたことなどを話して、去りました。○イザヤ書6:3 セラフィムも神に仕えるみ使いで、「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。その栄光は全地に満つ」と叫んでいるのをイザヤは見ました。
  • 天上(黙示録の世界)にも繰り返してみ使いが登場します。Ⅲ. ベツレヘムの天の軍勢への返しの歌は?
  •    み使いの歌に対して、人は「返しの歌」があります(歌い返す)。何万か分からないけれども大軍勢できたみ使いに対し、聴衆は3人か4人ですね。でもそれで十分でした。なぜなら、大讃美はとても簡単な歌でした。(冒頭の聖句・参照)この歌は、世界中のすべての人に聞かせたいですね!大丈夫です。羊飼いたちは単純な歌を覚えて、イエスさまのお誕生先を探しあてました。マリヤはこれを心の中に、宝物のように大切にしまい込みました。そして、この出来事を、60年後には、ルカが福音書に記し、この歌も書いたので、世界中に伝わりました。
  • 12月の説教要約について・・・・・・訂正とお詫び
  • アドヴェント1~4を数えるのに12月25日が4本目のローソクということで、12月4日を「第一アドヴェント」としてしまいました。11月27日(日)が最初のアドヴェントのはずでしたが、当日は「ヨブ記」の最後のまとめをその日にお話しすることで夢中で、間違いに気づきませんでした。結果として、12月18日を「第四アドヴェント」とし、25日をクリスマス礼拝としますので御了承ください。申し訳ありません。

説教要旨 2016年11月27日

ヨブ記は、私たちに何を教えようとしているのか。

主はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。「さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。あなたはわたしのさばきを無効にするつもりか。自分を義とするために、わたしを罪に定めるのか。」        ヨブ記40:6、7、8

ヨブ記は、すべての人間に(神が)語りかけるために記されたものか。あるいは、特定の

人、たとえばイスラエル民族、クリスチャン、苦難を背負った民族など一部の人々を励ますため

のものか。いえ、やはり、神さまはすべての人間に語りかけておられるのだと思います。

ヨブの妻は、「神をのろって死になさい」とヨブに勧めました。いくら神に期待しても、もはや何も得られない。ヨブの妻は、神が居ないとは思っていないはずです。現実の状態はひどすぎて、修復が不可のように見えるのです。それにも関わらず、実際には、ヨブは完全に復調し、それまで以上の幸いと長寿を手にします。神の目的は、おそらく「義人ヨブ」がさらに最高の栄誉に至ることを目指して、敢えて試練を与えたのでしょう。

この見え見えのハッピーエンドの戯曲のようなストーリーは、しかし、人間が考え出したものではありません。実際に起こった出来事を、神の霊感により劇曲化されて、聖書の一巻として残ったわけです。内容は、3、4千年も前の人たちの「神観」がもとになっています。ヨブも語り、3人の友人も語る、それらは神について伝え聞いていたことからの推察でしょう。おそらく聖書も、ほんの一部しか完成していなかったわけですから。最後に至って神御自身がお語りになり、誰が正しく、誰が悪いのかが明らかにされます。①3人の友人たち;「神について真実を語らず、神の怒りが3人に向かって燃えていた」、②ヨブ;「ヨブは自らの非を認めて、神に対して悔い改めた」これが結論です。神の味方のつもりだった友人たちは、驚愕したはずです。

それにしても神さまはお優しいですね。ヨブに向かう時には、まさに最愛の人と向かいあうようです。ヨブの問題点を教える時も、たった一言で見事に語っています。冒頭の最後の一文がそれです。まさにヨブの自己義認だけは厳しく咎めています。自分のほうが神より正しいというスタンスは、サタンと変りません。私たちも、ヨブがそうであったように、またヨブの妻が語ってように、自己義認のわなに陥りやすい存在です。でも神さまが、私たちに苦難、試練を与えるのは、ヘブル人への手紙(12章)に書かれているように、神さまが私たちを子として受け入れ、ご自身の聖さに預からせようとして懲らしているのです。主を見上げて信仰をもって前進しましょう。

 

 

 

母の日を前にして。母親の大変さを知る。5月8日週報より

彼女は家族の様子をよく見張り、怠惰のパンを食べない。その子たちは立ち上がって、彼女を幸いな者と言い、夫も彼女をほめたたえて言う。                             箴言31:27,28

5月3~5日に、家内の姉夫婦と長女、その息子二人が、東京から我が家に来て、楽しい時を過ごしました。家内の姉の長女は、私からみると姪です。姪は30歳くらいです。今回は、彼女の母親としての奮闘ぶりを目の前にして感動しました。姪は、保育士を続け、御主人も勤務があります。今回は9ヶ月と2歳半の幼子二人を連れて、父親の運転する自動車に乗り、一日かけて東京から来たわけです。

迎える側の私は、「乳幼児の父親」としてはずっと敗北感をもっていました。首が据わっていないし、コミュニケーションも取りづらい。我が家の息子たちは、すべて家内まかせで乳幼児期を過ごしました。古い話ですが、私の長男が、30年前に誕生しました。誕生後10日して、私は仕事の都合を付けて名古屋から家内の実家にやってきました。赤ちゃん誕生直後の母親は夜昼なく、授乳、おしめ交換など眠る暇もありません。私はその様子を見て、逃げるようにしてさっさと退散してしまいました。

育児は何ヶ月経っても相変わらず続きます。2番目の子、3番目の子が生まれれば育児のたいへんな時期は数年に及ぶはずです。そんな苦い思い出を持つ私は、幼児二人の来訪を不安に思っていました。ところが、今回は違いました。食事の時間になると、姪が抱えていた9ヶ月の子が、私をくいいるように見ていました。すると彼は、這い這いをして私の所に来て、私が抱っこしたら、足でピョンピョン踏ん張り、大喜びで離れません。驚いていると、2歳半の男の子も猛然と飛びついてきて、「パパ!」と言って空いているスペースに乗り込んできました。姉夫婦は大笑いで、私が二人の幼児を両手に抱えている様子を写真に撮ってくれました。それから30分くらい、私は30歳以上若返ったつもりで、ボール転がしをして彼らの遊び相手をしました。翌日、私の腰は痛くなっていましたが・・・。

姪の話によると、2歳半の子は父親を「お父さん」と呼び、それ以外の遊んでくれる男の人を「パパ」という使い分けをしているそうです。食事や入浴も毎日誰かが手伝わなければ、働きと、家事と、育児は困難です。その夜は、子どもたちが夜中に何度も起きて、姪はほとんど眠れない状態だったようです。お母さんのたいへんさを思う一日でした。

 

説教要旨(週報より)私にかまわないでください。5月1日

メッセージ週報より 『私にかまわないで下さい』 恩師の思い出 5 月1 日
『私はいのちをいといます。私はいつまでも生きていたくありません。私にかまわない
でください。私の日々はむなしいものです。』 旧約聖書 ヨブ記7:16

私の恩師K 先生は、「私にかまわないでください。」というのが口癖でした。ヨブも同じ
ことを語っているので驚きました。
K 先生は旧制高校時代に結核をわずらい、戦後、東大で助手をしながら研究を続け、
ケンブリッジ大学にも2 年留学されたエリートでした。95 歳まで生きて、教え子の誰にも死
期をさとられず家族だけで密葬されました。教え子たちが先生の死を知ったのはその十ヵ
月後で、すぐに盛大な偲ぶ会が開かれました。偲ぶ会が開かれる1 年前、私たち夫婦は、
家内の親友が重篤な病状にあることを知り、名古屋までお見舞い兼福音を伝えたい気持
ちで日帰り旅行をしました。その時、K 先生も御病気であるとは思い至らず、そのまま山形
に帰ってきました。今、考えると残念です。
話が前後しますが私が始めて教会に行ったのは1978 年です。そのきっかけは、「時間
がある時でいいから教授室に来るように」というK 先生からのメモが私の机の上に載ってい
たことです。ドアをノックすると「どうぞ、お入り下さい」と丁重に招き入れられました。こういう
時は要注意で、深刻な警告を受けることが多かったので緊張しました。用件は簡単でした。
「ねえ、ねえ、君は聖書を読んでいるかい?」それだけでした。まさか、私のような‘カガク・
命’みたいな生き方をしている者が、読むわけがないですよ、そんなこと聞かないでくださ
いと心の中で思い、胸を張り、「見たこともありません!」と自慢げに私は答えました。突然
の毒舌の攻撃を受けました。「だから君はダメなんですよ。」え?「いや、もういいから、出て
行ってください!」即座に教授室を追い出されてしまいました。
K 先生は、ケンブリッジ留学時に、聖書を読まない理科の学生はまるでダメという風潮に
触れ、熱心に聖書を読む習慣を身に着けたのです。私は教会に行って救われて、その後、
何度かK 先生に福音を伝えました。その度に、「聖書を君に勧めたけれど、本気で信じる
ようにとは言わなかった」と先生は弁解され、「大橋君はどうも本物になってしまった」と嘆
かれました。恩師は教養として、聖書を愛読しておられました。

それも感謝。私は、聖書に使える道に進路変更をすることになったわけです。

 

神のことに対する、私たちの理解力

2016年2月21日

神のことに対する、私たちの理解力。(週報・4面より)

「それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。」

ヨハネ第一の手紙 5:20b

「御子を信じる者はひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つ」という聖句をそのまま受け入れ、私の場合38年が経ちました。長い年月、福音を受けた私たちは、どのように生きてきたでしょうか。新天新地があると聖書は語るので、この地上が永遠に続くと思う人は少ないでしょう。どのように地上のいのちを用いたらよいでしょうか?

私は「永遠のいのち」について、普通の意味での死の後に、最後の審判で無罪とされ、そのまま天国に入れていただき、そこから永遠のいのちが始まるのではないか、そんな感じ方をしていました。ちょうど、何十年あとで満期になる生命保険に入ったのと同じで、安心はしたもののずいぶん先のことだと思っていたのです。

ところが、今回、ヨハネの手紙第一を学んで、今すでに永遠のいのちを持っていると強く確信するようになりました。様々な機会に、多くのメッセンジャーが、「生きている今、永遠のいのちを持っている」というお話をされ、半ばはそうかと思いつつ、信じた当初の感じ方にもいくらか未練を残して、そこを曖昧に生きてきてしまいました。

それは大きな損失であったのかもしれません。上記の聖句によると、私たちはクリスチャンになった時点でイエス・キリストのうちにいると書かれています。「永遠のいのちを持つもの」と自覚して生きることを、私たちに促していると思えます。この地上のいのちのことだけを考えるなら、健康に気を配り、少しでも家族や教会の役に立つようにしたいとか、体が不自由になって回りの人に迷惑をかけたくない、そんなことを大切にすれば十分です。しかし今、永遠のいのちの中にすでに生きているなら、神さまのお心、神さまが今、私に命じておられることをもっと知る努力をすべきでしょう。永遠のいのちは漠然としたものではなく、地上にいる今、それを最大限活用すべきです。いつも、具体的に理解している必要があったし、これからもあるに違いありません。