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説教要旨 2016年11月27日

ヨブ記は、私たちに何を教えようとしているのか。

主はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。「さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。あなたはわたしのさばきを無効にするつもりか。自分を義とするために、わたしを罪に定めるのか。」        ヨブ記40:6、7、8

ヨブ記は、すべての人間に(神が)語りかけるために記されたものか。あるいは、特定の

人、たとえばイスラエル民族、クリスチャン、苦難を背負った民族など一部の人々を励ますため

のものか。いえ、やはり、神さまはすべての人間に語りかけておられるのだと思います。

ヨブの妻は、「神をのろって死になさい」とヨブに勧めました。いくら神に期待しても、もはや何も得られない。ヨブの妻は、神が居ないとは思っていないはずです。現実の状態はひどすぎて、修復が不可のように見えるのです。それにも関わらず、実際には、ヨブは完全に復調し、それまで以上の幸いと長寿を手にします。神の目的は、おそらく「義人ヨブ」がさらに最高の栄誉に至ることを目指して、敢えて試練を与えたのでしょう。

この見え見えのハッピーエンドの戯曲のようなストーリーは、しかし、人間が考え出したものではありません。実際に起こった出来事を、神の霊感により劇曲化されて、聖書の一巻として残ったわけです。内容は、3、4千年も前の人たちの「神観」がもとになっています。ヨブも語り、3人の友人も語る、それらは神について伝え聞いていたことからの推察でしょう。おそらく聖書も、ほんの一部しか完成していなかったわけですから。最後に至って神御自身がお語りになり、誰が正しく、誰が悪いのかが明らかにされます。①3人の友人たち;「神について真実を語らず、神の怒りが3人に向かって燃えていた」、②ヨブ;「ヨブは自らの非を認めて、神に対して悔い改めた」これが結論です。神の味方のつもりだった友人たちは、驚愕したはずです。

それにしても神さまはお優しいですね。ヨブに向かう時には、まさに最愛の人と向かいあうようです。ヨブの問題点を教える時も、たった一言で見事に語っています。冒頭の最後の一文がそれです。まさにヨブの自己義認だけは厳しく咎めています。自分のほうが神より正しいというスタンスは、サタンと変りません。私たちも、ヨブがそうであったように、またヨブの妻が語ってように、自己義認のわなに陥りやすい存在です。でも神さまが、私たちに苦難、試練を与えるのは、ヘブル人への手紙(12章)に書かれているように、神さまが私たちを子として受け入れ、ご自身の聖さに預からせようとして懲らしているのです。主を見上げて信仰をもって前進しましょう。

 

 

 

母の日を前にして。母親の大変さを知る。5月8日週報より

彼女は家族の様子をよく見張り、怠惰のパンを食べない。その子たちは立ち上がって、彼女を幸いな者と言い、夫も彼女をほめたたえて言う。                             箴言31:27,28

5月3~5日に、家内の姉夫婦と長女、その息子二人が、東京から我が家に来て、楽しい時を過ごしました。家内の姉の長女は、私からみると姪です。姪は30歳くらいです。今回は、彼女の母親としての奮闘ぶりを目の前にして感動しました。姪は、保育士を続け、御主人も勤務があります。今回は9ヶ月と2歳半の幼子二人を連れて、父親の運転する自動車に乗り、一日かけて東京から来たわけです。

迎える側の私は、「乳幼児の父親」としてはずっと敗北感をもっていました。首が据わっていないし、コミュニケーションも取りづらい。我が家の息子たちは、すべて家内まかせで乳幼児期を過ごしました。古い話ですが、私の長男が、30年前に誕生しました。誕生後10日して、私は仕事の都合を付けて名古屋から家内の実家にやってきました。赤ちゃん誕生直後の母親は夜昼なく、授乳、おしめ交換など眠る暇もありません。私はその様子を見て、逃げるようにしてさっさと退散してしまいました。

育児は何ヶ月経っても相変わらず続きます。2番目の子、3番目の子が生まれれば育児のたいへんな時期は数年に及ぶはずです。そんな苦い思い出を持つ私は、幼児二人の来訪を不安に思っていました。ところが、今回は違いました。食事の時間になると、姪が抱えていた9ヶ月の子が、私をくいいるように見ていました。すると彼は、這い這いをして私の所に来て、私が抱っこしたら、足でピョンピョン踏ん張り、大喜びで離れません。驚いていると、2歳半の男の子も猛然と飛びついてきて、「パパ!」と言って空いているスペースに乗り込んできました。姉夫婦は大笑いで、私が二人の幼児を両手に抱えている様子を写真に撮ってくれました。それから30分くらい、私は30歳以上若返ったつもりで、ボール転がしをして彼らの遊び相手をしました。翌日、私の腰は痛くなっていましたが・・・。

姪の話によると、2歳半の子は父親を「お父さん」と呼び、それ以外の遊んでくれる男の人を「パパ」という使い分けをしているそうです。食事や入浴も毎日誰かが手伝わなければ、働きと、家事と、育児は困難です。その夜は、子どもたちが夜中に何度も起きて、姪はほとんど眠れない状態だったようです。お母さんのたいへんさを思う一日でした。

 

説教要旨(週報より)私にかまわないでください。5月1日

メッセージ週報より 『私にかまわないで下さい』 恩師の思い出 5 月1 日
『私はいのちをいといます。私はいつまでも生きていたくありません。私にかまわない
でください。私の日々はむなしいものです。』 旧約聖書 ヨブ記7:16

私の恩師K 先生は、「私にかまわないでください。」というのが口癖でした。ヨブも同じ
ことを語っているので驚きました。
K 先生は旧制高校時代に結核をわずらい、戦後、東大で助手をしながら研究を続け、
ケンブリッジ大学にも2 年留学されたエリートでした。95 歳まで生きて、教え子の誰にも死
期をさとられず家族だけで密葬されました。教え子たちが先生の死を知ったのはその十ヵ
月後で、すぐに盛大な偲ぶ会が開かれました。偲ぶ会が開かれる1 年前、私たち夫婦は、
家内の親友が重篤な病状にあることを知り、名古屋までお見舞い兼福音を伝えたい気持
ちで日帰り旅行をしました。その時、K 先生も御病気であるとは思い至らず、そのまま山形
に帰ってきました。今、考えると残念です。
話が前後しますが私が始めて教会に行ったのは1978 年です。そのきっかけは、「時間
がある時でいいから教授室に来るように」というK 先生からのメモが私の机の上に載ってい
たことです。ドアをノックすると「どうぞ、お入り下さい」と丁重に招き入れられました。こういう
時は要注意で、深刻な警告を受けることが多かったので緊張しました。用件は簡単でした。
「ねえ、ねえ、君は聖書を読んでいるかい?」それだけでした。まさか、私のような‘カガク・
命’みたいな生き方をしている者が、読むわけがないですよ、そんなこと聞かないでくださ
いと心の中で思い、胸を張り、「見たこともありません!」と自慢げに私は答えました。突然
の毒舌の攻撃を受けました。「だから君はダメなんですよ。」え?「いや、もういいから、出て
行ってください!」即座に教授室を追い出されてしまいました。
K 先生は、ケンブリッジ留学時に、聖書を読まない理科の学生はまるでダメという風潮に
触れ、熱心に聖書を読む習慣を身に着けたのです。私は教会に行って救われて、その後、
何度かK 先生に福音を伝えました。その度に、「聖書を君に勧めたけれど、本気で信じる
ようにとは言わなかった」と先生は弁解され、「大橋君はどうも本物になってしまった」と嘆
かれました。恩師は教養として、聖書を愛読しておられました。

それも感謝。私は、聖書に使える道に進路変更をすることになったわけです。

 

神のことに対する、私たちの理解力

2016年2月21日

神のことに対する、私たちの理解力。(週報・4面より)

「それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。」

ヨハネ第一の手紙 5:20b

「御子を信じる者はひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つ」という聖句をそのまま受け入れ、私の場合38年が経ちました。長い年月、福音を受けた私たちは、どのように生きてきたでしょうか。新天新地があると聖書は語るので、この地上が永遠に続くと思う人は少ないでしょう。どのように地上のいのちを用いたらよいでしょうか?

私は「永遠のいのち」について、普通の意味での死の後に、最後の審判で無罪とされ、そのまま天国に入れていただき、そこから永遠のいのちが始まるのではないか、そんな感じ方をしていました。ちょうど、何十年あとで満期になる生命保険に入ったのと同じで、安心はしたもののずいぶん先のことだと思っていたのです。

ところが、今回、ヨハネの手紙第一を学んで、今すでに永遠のいのちを持っていると強く確信するようになりました。様々な機会に、多くのメッセンジャーが、「生きている今、永遠のいのちを持っている」というお話をされ、半ばはそうかと思いつつ、信じた当初の感じ方にもいくらか未練を残して、そこを曖昧に生きてきてしまいました。

それは大きな損失であったのかもしれません。上記の聖句によると、私たちはクリスチャンになった時点でイエス・キリストのうちにいると書かれています。「永遠のいのちを持つもの」と自覚して生きることを、私たちに促していると思えます。この地上のいのちのことだけを考えるなら、健康に気を配り、少しでも家族や教会の役に立つようにしたいとか、体が不自由になって回りの人に迷惑をかけたくない、そんなことを大切にすれば十分です。しかし今、永遠のいのちの中にすでに生きているなら、神さまのお心、神さまが今、私に命じておられることをもっと知る努力をすべきでしょう。永遠のいのちは漠然としたものではなく、地上にいる今、それを最大限活用すべきです。いつも、具体的に理解している必要があったし、これからもあるに違いありません。

 

二代目クリスチャンの苦労

『二代目クリスチャンの苦労』

 

「わが子よ。私のことばを守り、私の命令をあなたのうちにたくわえよ。私の命令を守って、生きよ。私のおしえを、あなたのひとみのように守れ。」

箴言 7:1,2

 

先週木曜日は、長男が新しい住居に引越しする手伝いに行きました。まだ、挙式までは1ヶ月以上間があるのですが、旗日はこの日だけでしたから。

私たち家族は、21年前、名古屋から山形県長井市に引っ越しました。小学校4年生で転校してきた彼は、帰宅すると私とよくキャッチボールをしました。息子はスポ少にも入らず、残った時間もイモリや昆虫採集に山にでかけました。終日仕事の母ではなく、4時には帰っている父が子どもと遊ぶ係りでした。

彼が中学に入る時、野球部に入るというので驚きました。「日曜日は礼拝の日だ。試合に出なくても大丈夫か?」と問い、「練習だけでもいい」と言い、彼は3年間、たまの代打で出してもらう以外は出番のない野球部員で過ごしました。高校入学時には、「僕はもう野球部に入らない」という宣言をしました。ところが、「1年生の部員は7,8名らしい」とニコニコで帰宅、9名集まらないならたまには出番があると思ったのでしょう、前言を取り消し野球部に入ったのです。高校2年生が終わるまで日曜日礼拝厳守でしたが、冬季室内練習も午後集合だったため練習参加をし、練習試合などでの出番は増えました。6年目の春、イースターの日は当然試合を休ませたところ、次から打順はクリーンアップから8番に降格しました。春の公式戦で、5打数5安打して直ぐに5番に打順は上げました。私は5年間、彼に一歩も譲歩せずに聖日厳守を通させましたが、夕拝と祈祷会を守ることを条件に、3年生の数ヶ月は「部活のある時は、朝礼拝を休んでいいよ」ということにしました。

冒頭聖句の「私」というのは、父親のことではありません。擬人化された神の知恵です。・・・私のような融通のきかない父親のもとで彼はよく躓かなかった、今考えるとひどいことをしたとも思うのですが、結果だけみると、彼は満足できる高校生活を過ごし、神様を礼拝する生活も身につけました。ただ主のあわれみのみでした。

礼拝説教より とりなしの祈り

礼拝説教より(要約)  執り成しの祈りについて

2016年1月7日

 

「だれでも兄弟が死に至らない罪を犯しているのを見たなら、神に求めなさい。そうすれば神はその人のために、死に至らない罪を犯している人々に、いのちをお与えになります。」                                   ヨハネの手紙第一 5:16a

 

イエスさまをあかしする目的の第一は、罪人が救われることです。クリスチャンは隣人に福音を伝えます。その隣人の心に御霊が語ってくださることを祈る役目もあります。使徒ヨハネは、「クリスチャンを御子を持つ者」と呼んでいますが、それは御霊の内住を指しています。クリスチャンのできる“伝道”は、直接的にはイエスさまが歴史的事実としてバプテスマから十字架、復活に至る歩みをされたことをあかしすることですが、最大のあかしをされるのは、御霊なのです。

私たちは、「永遠のいのち」という言葉は、実感し難いものだと思います。ヨハネは、黙示録をも書いた人ですから、この世のいのちと神が与える永遠のいのちが、いかに大きな違いがあるかを実感していました。私たちは神さまが言葉を発し、約束をしてくださったことに対して、どこまで真剣にそれを受け取っているでしょうか。今の時代は、昔以上に永遠のいのちがわからな人が多くなってきたのではないでしょうか。それは旧ソ連の人工衛星で人類最初に地球を眺めたガガーリンという宇宙飛行士が、神の玉座がどこにもないという放言をした頃から、次第に多くの人々が目で見えないものの価値を、ひどく低く見るようになったためと思います。

「永遠のいのち」を、絵に描いた餅のように実体のないものと思う人がいるなら、その人は永遠の滅びに至ることになります。ヘブル9:27には、「人間には一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」と書かれています。神の裁きは正しく、有罪か、無罪かによって厳粛な結末を人は迎えなくてはなりません。救われている人は死後に永遠のいのちを受けますが、他の人は火の池(第二の死)に居続けなくてはなりません。二者択一であることを、すべての人に明示する必要があります。

 

 

東日本大震災・支援活動

2013年3月11日の大震災は、山形県南部にも、2分以上続いた大きな揺れと1日の停電によって経験したことのない大事件の発生を予感させました。

停電のおかげで、事の重大さを理解するのに時間がかかり、原発事故の不安と、ガソリンの極端な欠乏の中で、お世話になっていた気仙沼の教会まで出向いたのは4月になってからでした。心ばかりの支援金をお渡しし、泥かきと呼ばれる作業などもかたちばかりで、日帰りで何もお役にたたない状況でした。その教会は、「十字架が残った」といった見出しで新聞に大きく出たり、海外からの支援にも恵まれ、海岸べりの新築の教会が跡形なくなった代わりに、高台に立派な会堂が近く献堂されることになりました。

震災_気仙沼気仙沼南部、何軒かの家は土台のみ

震災_十字架の残った教会も土台と十字架が残りました

震災_気仙沼礼拝室印刷会社の一室が仮の礼拝室

震災_丘の上の教会気仙沼、通称「丘の上の教会」道路のひび割れはたいへんです。
お留守で内部は分かりません。

■ 2014年、福島県いわき市と富岡町

2014年になって、福島県いわき市に開設された「福島第一聖書バプテスト教会・泉のチャペル」にお邪魔する機会が二度ありました。もともと大熊町にあった教会が、現在も帰還困難区域内にあるため、いわき市での再出発となりました。

震災_翼の教会泉のチャペル(翼の教会)

震災_富岡駅常磐線富岡駅付近

震災_立入り禁止区域侵入禁止の向こうが大熊町側

震災_中間貯蔵原発汚染物質は黒い袋で保管?

■ 新しいビジョン
3年以上の時間を経ても、帰還困難や、原発による汚染を心配する家族の状況はそれほど変わっていません。福島で牧師をしている先生は、子どもたちを空気のきれいな地域でリフレッシュする活動を続けています。長井の教会は原発から100kmで決して離れた場所とは言えませんが、計測されている放射線はずっと正常値でした。牧師館や母子室を解放して自由に使っていただくことは可能かもしれません。(役員は賛成でした)

天地創造論について

天地創造ロゴ

2010年、「創造と理科教育・研究会」を教会内に置き、数年のあいだ小冊子の発行などの活動を続けました。15号までの小冊子によって、会が提唱する「創造論の教理」が一貫したものとなりました。そこで本来の目的に向かって進みだすことになりました。

天地創造囲い記事

アダムとエバから今まで、一人ひとりの年齢がつながっていればおよそ6000年の時間が経っています。一方、ビッグバン、太陽系の形成、水の惑星の誕生、プレートテクトニクスなど、科学的手法で明らかにされる宇宙の歴史は百三十七億年とされています。

ある人々は天地創造の記事を神話と呼び、別の人は聖書が語る年数だけが本当だと主張します。聖書が神の言葉であるという時、私たちは、神が科学をはるかに超えた真実を伝えていることを論証する責任があります。

天地創造の課題1
誰が、いつ、どのようにして旧約聖書の冒頭を書いたのか。
聖書の冒頭は「創世記1章」です。「初めに神が天と地を創造された」と書き出されています。1章全体と2章3節までを、ふつうは天地創造の記事と呼びます。

絶対的な意味では、「誰が、いつ、どのようにして」という答えはありません。「モーセが、3500年前に、神から啓示されて」と考えるのが常識的な見解と考えます。

 

詳しくはこちらをごらんください。
大橋不三男・優子のブログ